Kamakura-An’s diary

鎌倉で海と戯れながら、時折、トレッキングにも

HOTEL NEW GRAND(21年11月20日)

退職時、13年ほど同じチームで働いた同僚から HOTEL NEW GRAND / Le Normandie のディナー券をいただいたので、結婚記念日を前に家内と出かけました。滅多にない機会なので、食事の後は Sea GuardianⅡで一杯。

 

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いつもはビーチサンダルで入れる地元の和食、焼鳥、イタリアンくらいしかでかけないので、たまには二人でホテルのフレンチというのも悪くありません。非日常感というやつでしょうか。

 

夜景を眺めながら、(みなとみらいに住んでいたとき)このあたりをよく走ったね、などと会話していると、20時にはみなとみらいから花火が上がる演出。早速、このお礼を同僚にショートメッセージしたところ、さすがにこれは偶然だったようです(笑)

 

ちょうど一回り違う同僚と働いた13年間は、少し大袈裟にいうと、仕事も家庭も激動の時代でした。

上海に5年、シンガポールで3年、そして日本に戻って4年(上海とシンガポールの間に日本で+1年)。仕事の内容も生活も大きく変化しましたが、同僚もそして家内もよく耐えてくれました。ありがとう。

 

こういうことがあったよね、ああいうこともあったよね、などと言いながら食事を楽しんでいると、あっという間に時間が過ぎてしまいます。

目の前の海も上海やシンガポールにつながっているんだと思うと感慨深さはひとしおでした。

 

食事の後は、本館に場所を移して、Sea GuardianⅡへ。この間、中庭でちょっと酔いざまし。

 

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コロナ禍で久しぶりのバーだったので、何をオーダーしようかとメニューを眺めていたら、オリジナルカクテル “Phoenix” の写真が目に飛び込んできたのでこれを注文。

フリーランスとしてフェニックスのような職業人でありたいといった感傷的な気分になったわけではなく、直感的に惹かれたのです。

 

私のなかで “Phoenix” といえば、日大アメリカンフットボール部。昨今は何かとお騒がせなチーム、大学ですが、私の知っている  “Phoenix”、篠竹さんの “Phoenix” はまさに不死鳥の名に相応しいチームでした。

 

(今のチームのことはよく知らないのですが)かつての “Phoenix” の戦いぶりをジャンケンに例えるなら、彼らはジャンケンをする前に「オレたちはグー(石)を出す」と言い放ちました。そして、それでも勝ってしまうチームでした。

相手は当然、「パー(紙)」で立ち向かうのですが、その紙を破ってしまう石の軍団だったのです。自分たちのスタイルを微塵も崩さないところに “Phoenix” の  “Phoenix” たる由縁があったのでしょう。

 

“Phoenix” が洗練された武士(もののふ)集団だったとすれば、かつての京大 "Gangsters" は野武士集団でした。愚直に(いやらしい)ブロック、タックルを積み重ねるなかで、最後は石を包み込み、がんじがらめにしてしまうようなところがありました。アメリカンフットボールでは勝てないので、力でねじ伏せるしかなかったのでしょう。

 

もちろんアメリカンフットボールというスポーツゲームとしてのレベルは、現代とは比べものになりません。雲泥の差です。しかし、かつての大学スポーツには競技の枠を超えた、学生と学生の意志や意地のぶつかり合い、人間勝負があったように思うのです。

篠竹さんと(京大の)水野さん、二人の大人の代理戦争、所詮、学生は操り人形という冷ややかな見方もありますが、実際に戦っていたのは学生自身であり、戦うことを決めたのは学生の意志です。

 

商業的、エンターテイメント的なスポーツもいいのですが、久しぶりに格闘系スポーツを通じた若人の人間勝負というのも見てみたい、そんな気分になった HOTEL NEW GRAND での夜でした。

 

グーとパーの戦い、どちらが勝つのか? これが学生どうしの真剣勝負の神髄のように思うのです。

 

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3年前、みなとみらいを離れる直前に撮影した山下公園の紅葉