Kamakura-An’s diary

鎌倉で海と戯れながら、時折、トレッキングにも

ツェエルマット オフ・トレッキング

Matterhorn

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ツェルマットでの日課

ツェルマットを訪れれば、Viewing Bridge からマッターホルンの朝焼けをみることが日課になります。

ツェルマットでの初めての朝は気持ちが高ぶり熟睡できず、5時前に目が覚めました。外をみると快晴です。早速、Viewing Bridge に出かけます。

 

日の出の20分ほど前(5:40頃)でしたが、Viewing Bridge にはすでに多くの人が集まっています。7~8割が日本人旅行者。残りが中国人と韓国人で欧米人はほとんどいません。朝焼けに感動を覚えるのはアジア人、とくに日本人の文化性なのかもしれません。

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日の出の直前には、この3倍の人は集まっていたように思いますが、国籍構成はほぼ同じ。寒いのはわかりますが、バスタオルを羽織ってくる中国人の発想には驚かされてしまいます。でも、足元はクロックスなので寒そう。体隠して足隠さずです。

 

日の出まではまだ15分ほどあります。

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Tシャツにミドルレイヤーを重ねただけだったので、寒さに震えながら日の出を待っていました。すると、ハイテンションの白人に声をかけられ、スマホの写真をみせてくれます。

どうやら、マッターホルンの山頂で撮った写真のようで、「昨日か?」と聞くと「2年前」とのこと。「どれくらいかかって登ったんだ?」と尋ねると「4時間」との返答。

それってかなり盛ってない? うれしい思い出が熟成を重ねるうちに記憶がだんだんと好記録化したのではないかと思ってしまいましたが、ヘルリンヒュッテ(Hörnlihütte, 3260m)まで実際に訪れてみると、4時間も十分にあり得そうです。

 

日の出を待っていると、中国語を話す集団がドローンを飛ばし始めました。みんなが集まる橋の上からマッターホルンに向けて何度も飛ばします。幻想的な光景がドローンとその騒音で壊されるなど迷惑千万。どうしてこういうことをするのか?と思っていたら、誰かに注意されたのかもしれません。日の出前にその集団は姿を消してくれました。
15分ほどの間にいろいろありましたが、地球はそういうことに動揺をみせることなく午前6時少し前、マッターホルンの幻想的な日の出を迎えます。まさに息を飲む瞬間です。

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Viewing Bridge で隣りにいた日本人夫婦、リタイアされた後の旅ではないかと思われますが、旦那さんが携帯をカメラモードにしようとして四苦八苦していて、朝焼けどころではありません。そして、奥さんから「お父さん、ちゃんと見なさいよ。携帯はいいから」と指導が入りました。半世紀ほど間、奥さんにはこの調子でリードされてきたのだと思います。
ただ、この奥さん、「これが見れたから、今日はもう雨でもいいわ」とポソリ。悪気のない独り言なのはわかりますが、ただでさえ午後から天気が崩れる予報なのにそういうことを言い放つのは勘弁してもらいたいと思います。
 
帰り際、教会の横からもマッターホルン。あっという間に太陽は昇ります。

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ホテルの部屋に戻ると、わざわざ Viewing Bridge にまで出向かなくとも、バスルームの窓からも眺められることがわかりました。

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そして、便座に座ると鏡越しにマッターホルン。何とも贅沢な朝の所用のひとときを送ることができます。

 

結局、Viewing Bridge には毎朝出かけ、マッターホルンのさまざまな山姿を楽しみました。

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最終日の朝は、Viewing Bridgeだけでなく、いろいろな場所からマッターホルンの朝焼けを眺めます。

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オーストリア人家族に大ウケしたポールカバー

ツェルマット2日目、トロッケーナ・シュテーク(Trockener Steg、2939m)から フーリ(Furi、1867m)までのトレッキングを終え、フーリからゴンドラに乗ると、直後に親子3人が乗り込んできました。隣のオーストリアから来て4日間、山を転々としているとのことです。

そして、父親がわれわれのポールカバー(↓)を見て「何これ?」と聞いてきました。「先端が危ないので、他人をケガさせないように」と真顔で答えたところ、オーストリアの親子3人は大笑い。それまでブスッとしていた年頃の娘が一番笑っていました。

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日本の電車は混んでいるので先の尖ったポールを持っていると危ない。。。と説明しようかとも思いましたが、ヨーロッパの電車事情から日本の混雑事情は想像できないだろうと思ったので追加説明はやめました。

ちなみに、彼らのピッケルやポールの先端は剥き出し。娘にいたってはたくさんの爪がついたアイゼンをそのままリュックにぶら下げています。どう説明したところで、ゴンドラがツェルマットに到着するまでの短い時間にわれわれのポールカバーのことを理解してもらえるとは思いません。ま、ヨーロッパのお嬢様に大受けしたのだから良しとしましょう。
 
ある意味、圧巻? 日本人ツアーグループの一糸乱れぬ行動
ゴルナーグラート鉄道(GGB)は乗客のおよそ9割は日本人(ツアーグループ)でした。

座席(ボックス型の4人掛け)に座っていると、向かい側の夫婦をはじめ周囲の日本人が一斉に手を挙げました。

何事か?と思いきや、ガイドさんの無線(ツアー客はイヤホン装着)が聞こえているかどうかをテストしたようです。この一斉挙手にマイノリティの外国人(非日本人)は苦笑。

 

本来、進行方向右側からマッターホルンが望めるはずですが、生憎、完全に雲に隠れています。このため団体客はやることがないので、ガイドさんに質問攻め。「今夕は自由行動だけど何を食べたらいいか?」、「どういうおみやげがいいか?」等々、周囲に配慮したワイヤレスガイドだったと思うのですが、その意味が全くなくなります。
終点のゴルナーグラートではツアーグループごとに集合。ガイドさんも言っていましたが、さしずめ民族大移動でした。

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山羊のパレード

トレッキングを終えホテルに戻ると、最上階(↓)のルームテラスでの一杯が待っています。

 

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美しい景色を思い出しながら、ビールやワインをいただく、まさに至福のひととき。ツマミは記憶だけで十分です。

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パンくずを投げると、すぐにスズメがやってきます。

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ほろ酔い気分でいると、 真下からアルプホルンの音色が聞こえてきます。何とも贅沢な時間(↓ にはアルプホルンの先端部分だけが写っています)。夕方は超高級ホテルの送迎馬車が頻繁に行き交います。

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夕方の5時頃になると、50頭ほどの山羊の行進がみられます。朝は反対方向に向かうようなので、観光イベントかとも思ったのですが、本物の山羊飼いとイベントを兼ねているのかもしれません。上半身というか身体の前半分だけが黒色の珍しい山羊が目立ちます。

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お酒を飲みながらバーンホフ通りを行き交う人々の観察をしているとこれが結構、面白いのです。

目抜き通りなので多くの人が通りますが、時間帯で民族構成が変わります。夕方の時間帯はとくに日中韓にインド人を加えたアジア系の比率がとても高いように思います(4~5割くらいの感覚)。ツアーの夕食の前の自由行動時間なのかもしれません。

日本と中韓の違いは年齢層。日本はわれわれよりもさらに上の高齢夫婦中心。団体の中にたまにいる若い人(ハネムーン?)をみると気の毒な感じもします。中国人は老若男女いろいろ、韓国人は圧倒的に若い人が多いようです。インド人のビックファミリーもちらほら。NYやロンドンでも同じように思うのですが、日本の若い人はあまり海外に行きたがらないのでしょうか? あるいは海外に行けるほど経済的な余裕がない? 1人あたりのGDPでみると、日本の方が圧倒的に高いはずだし、韓国より人口は多いのに不思議な感じというか、日本の抱える問題を映し出しているようにも思えてしまいます。

しかし、トレッキング・コースでアジア人と会うことはほとんどありません。ロープウェイや電車で行くことができる展望台など、いわゆる有名スポットには町中と同様にアジア人が多いのですが、自分の足で歩いて景色の変化を楽しむような面倒くさいことはしないようです。
有名スポットでは、その象徴的な景色をバックに自分の写真をひたすら撮ります。しかも気取ったポーズつき。景色だけの写真を撮ることはまずありません。そして、一通り撮り終わるとどこかに座り込む。こういうスタイルをよく目にします。
 
アジア人のなかでの例外は日本のエルダー・トレッキング・グループ。オバさんというかほとんどおばあちゃんですが、彼女たちのパワーは侮れません。人類でもっともパワフルなようにも思います(いいことです)。しかし、連れて来られたおじいちゃんはたいがいお疲れ気味なのが気になります。
 
夕食
初日から3日目まではホテルのルームテラスでディナー。3日続けて、Fuch のパンに生ハムをはさんで食べたり、サンドウィッチを食べたのですが、飽きることはありません。このパン屋さん、ツェルマットの狭い町に何軒もあったので、地元からも支持されているのでしょう。

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4日目の夜は、マッターホルンの(登山口までの)登頂祝いでレストランに出かけました。ガイドブックをみるとおススメとしてホテルに併設のレストラン(Wallisekan)が載っています。

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幸い予約なしでも入ることができ、トマトとチーズのポークステーキ、そしてタルタルビーフをオーダー。スイスに来たらチーズフォンデュが定番なのかも知れませんが、本場のチーズフォンデュはワインが効きすぎて昨年のチロルで懲り懲りです。
日本ではもうユッケを食べることはできませんが、スイスのタルタルビーフは大盛りユッケそのもの。生の卵黄も添えられています! マッターホルンでの生々しい落石の音を思い出すとなぜか生肉を食らいたくなるのです。ワインもすすんでほろ酔い。でも、すぐに部屋へ戻ることができます。
 
5日目の夜は「ラムのしゃぶしゃぶ」。その日の朝、GBB(ゴルナーグラート鉄道)のなかで聞こえてきた「ラムしゃぶ」のことが一日中、頭にこびりついて離れませんでした。ネットで調べると、どうやら Schwyzer Stubli というレストランのようです。とてもお腹が空いていたので17時半頃に行くと開店は18時半。幸い予約はできましたが、空腹を我慢しながら1時間、待たなければなりません。
「ラムしゃぶ」の正式名称は Fondue Chinoise。出された肉はラム、ビーフ、ポークの3種類。フォンデュフォークに肉を突き刺し、これをチーズではなくブイヨンスープの中に入れて火を通します。そして、タルタルなどいろいろなソースでいただきます。〆は3種類の肉汁が出たこのブイヨンスープをカップにとり、コニャックを入れて楽しみます。これがまた美味しいのです。
 
バーンホフ通りの終末の夜
金曜日夜のバーンホフ通りは多くの人々で賑わいます。
店の前で食べ物や飲み物が売られ、なかにはクラブのようなところも。音楽に合わせて欧州人が通りで踊り、それをスマホで撮影するアジア人で大混雑。やっぱりツェルマットはリゾート地のようです。

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深夜、大声を上げながらホテルに戻る?酔っ払いに何度か起こされました。酔っ払いは東西を問わずどこも同じです。

 

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